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L'espoir

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L'espoir log - 2010年05月

光が明けた空

2010/05/20

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春企画「桃色春音」提出作品
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 『光が明けた空』 天乃音羽著



――――前へ、明日(あす)へと、進んでいけ。この非情にして無情な世界といえど、叶わぬ夢など、実らぬ想いなど、在りはせぬであろう?

――――希望を持つのならば、想いを実らせたいのならば、自らの出来る事を、自らの精一杯の力で遣って見せよ。さすらば、皆(みな)はお前の事を認めてくれる。

 頭の中で何度も何度も木霊するのは、いつかの日に聞いた言葉。繰り返され続ける言葉は、鮮明な映像を伴って頭の中を支配する。
 あの時、私は聞いたのだ。どんな問いにも自分なりの解答を示してくれる、少し風変わりな“あの人”に。質問をぶつけてみたのだ。
 “あの人”にしかわからなくて、“彼”だけの解答(こたえ)だという事は分かっていたけれど、何も知らされず、何も知ろうとせず、何も分からなかったその時の私は、聞いた。
『このような不安な中、明日が来るなんて、どうして分かるのですか?』
 その時の“あの人”は、酷く驚いていたと記憶している。一瞬だけ私を凝視して、ふっと表情を緩めた。私はその時初めて、“あの人”の笑った顔を見たので、とても驚いた。
 “あの人”の微笑みは、優しくて暖かくて優雅で、とても綺麗なものだった。どれだけ顔の整った綺麗な人を連れてきても、これ程までに素敵な笑みを浮かべてみせる者は居ないだろうと思うくらい、“あの人”の微笑みは綺麗だった。完璧な微笑みなのに、どこにも機械的な感情は見られない、どこまでいっても人間が浮かべる笑みで、それでもとても綺麗で。
 けれど、私はとても素敵だと思ったのに、少しだけ違和感に思った。
 “あの人”はそんな微笑を浮かべて、私に解答(こたえ)を示した。

――――そんなもの、決まっておろう? 我らは生きて、強く生きている。明日(あす)を生き続ける。故に、明日は存在するのだ。明確にして、単純な回答であろう。

 “あの人”が示した回答は、やはり“彼”だけの解答(こたえ)だった。
 私は“あの人”の解答(こたえ)に納得できなくて、怪訝な表情を“あの人”に向けていたのを憶えている。けれど“あの人”は素敵な微笑を湛えたままに、私に云った。

――――姫、畏れてはなりませぬ。世界は無情で非情であれど、不安が広がろうとも、たった一つの、貴女が治める世界なのですから。それはとても素敵な事なのですから。

 最後にそう締めくくった“あの人”の表情は、よく憶えていない。
 ただ、一つだけ。酷く“彼”らしくない科白だと、思った。


 ぼんやりと滲んでいく目の前の世界。記憶がシフトしていく。思い描いた少女の脳内で、駆け巡る思想と真実。その先に辿り着いたのは現実の世界。広がる奇異の視線。
「っ……」
「姫様、如何なされましたか! 御気分が優れませぬか? やはりこのようなものは中止すべき……」
「わたくしは構いませぬわ」
 豪奢な着物に身を包み、背後の女性に微笑みかける。広間の奥に座る彼女は、広間の人々の中で一番綺麗で、豪華だった。人々は彼女の言動に目を光らせて、たった一つの無礼も許されないこの空間で、精一杯の虚勢を張り続ける。一瞬でもその緊張の糸が切れようものならば、それは自分の首が飛ぶ事となんら変わりない。
「心配するでない。わたくしはこの通り、さあ、お戻り下さいませ」
 彼女の後ろに控えていた女性は、どこか納得のいかない表情のまま、しかし彼女の言うことには逆らえずに、ある程度の距離を置いて後ろへ下がる。女性が静止したと同時に、広間の中央にいた人々が一斉に頭を下げた。それはとても異様な光景だった。全員がまるで動かずに、この場で一番偉い彼女の言葉を待つ。
 それは、絶対の服従の証。世界でただ一人、“神”と呼ばれることを許された彼女に赦しを請い、生きることを認めてもらうという、異常にして異様な行為。だがそれを異様だと思うものは、この場にいない。何故なら、それが絶対であり、彼女が唯一の“神”だから。
「頭を上げてくださいまし」
 広間に響く“神”の声に、耳を傾ける人々は、限りなく同一に近く混じりあった絶望と希望を抱く。
 そんな彼女の言動は、しかし形だけ。それは、世界でただ一人、世界の中心に居続ける彼女だからこそ出来る事。
 彼女は重たい着物を持ち上げて、非常にゆったりとした動作で立ち上がった。
「姫様!?」
「慌てるでないぞ」
 そして、そのまま未(いま)だに頭を下げ続けている人々の元へと向かう。
 無為の罪を掲げられて死を目の前にしているにも関わらず、“神”の前に無力に跪く人々。だが彼らは、無力だと、想いこんでいるだけ。
「姫様、何をなされているのですか! そのような汚いものの近くになど……」
「口を慎みなさい」
 後ろに控えていた女性が、声を荒げた。だが“神”と呼ばれる彼女は一蹴する。
 その声は大きなものではなくむしろ静かな冷たさを孕んでいたが、だからこその冷たい怒気を含んでいた。女性は冷たい氷に触れたときの様に、ひっと声を呑み込むと、広間に沈黙を落とした。
「赦しなど、何者かに請うものではございません。わたくしの前では、誰もが皆(みな)平等であることが許されるのです。ですから、頭を上げてくださいまし。誰もあなた方を咎めませぬ故」
 彼女は、言った。微笑みは柔らかく、優しく。紡がれる言葉。
 “神”などではない、唯一の少女の微笑みを湛えて。
 だが彼女は、その一瞬後には、凍りついた表情を浮かべて見せた。その姿はまるで凛と気高く華麗に咲く百合の如き。容易に触れることの叶わない毒を孕んだ刺花の如く。唯一の“神”に歪なほど妙に似合う姿だった。
 彼女は人々に背を向けた。ようやく頭を上げた人々が見たのは、気高い“神”の後姿だった。
 そして次いで彼女から紡がれた言葉は、全ての常人の予想を容易に覆した。砥がれた鋭き刃のように、彼女に似合わぬ冷たさで、言葉は広間の人々全員を貫いた。
「わたくしは、わたくしの国を滅ぼそうとしたあなた方を、一生涯赦しませぬわ。もう“これ”は終わりといたしましょう。茶番は愉しいからこそ成り立つのです。つまらぬ茶番などわたくしには無用。さあさ、どうぞ皆さま、お帰り下さいまし」
「……き、貴様っ!」
 今にも掴み掛からんと、先ほどまで無力を嘆いていた人が立つ。だがその手が彼女に触れることは叶わない。横で控えていた者が瞬時に捕らえてしまうからだ。
 人の怒りの矛先は、言動を簡単に翻した彼女。触れることの出来ない崖に咲いた刺花に、怒れる人々の想いは雪崩れ込む。
 彼女は、広間を後にした。


 歩みながらも、頭の中を巡るのは、先程の怒り狂った人々の表情、声、そして驚きと絶望。肌でひしひしと感じたそれらは、紛れも無く彼女を蝕んだ。罪悪感と、虚無感、更に不安と恐怖が混沌と交じり合って彼女の中で蠢く。
――――これで宜しかったのでしょうか、柚詠様。わたくしの行動は、これで正しかったのでしょうか?
 彼女の心の中で繰り返される“問い”に対する“解答”は無い。解答(こたえ)を示してくれた“彼”はもう彼女の前には居ない。
――――“気高く崖に咲き誇る一輪の刺花”。掴めぬ事を理由に不条理に嫌われ憎まれ、わたくしはそのようになれたのでしょうか。わたくしは皆に、哀しみを与えただけではないのでしょうか。
 今にも“あの人”が目の前に現れて、あの一度だけ見せてくれた、人間として完璧な微笑みを浮かべて教えてくれるのではないか。そんな淡い期待と、ありえないという理性がひしめいて、彼女は歩みを止めた。
――――わたくしは皆を助ける事が出来たのでしょうか。
 ぼやけた視界、浮かんだ涙に思わず嗚咽が漏れる。頬に伝う涙、誰かに見られないかと慌てて手で拭う。だが溢れ続ける涙に、止まらない嗚咽に、彼女は着物が汚れるのも構わずに座り込んでしまった。
 “あの人”は常に彼女の傍に居た。屋敷の人々に忌み嫌われているのも気にせずに、“彼”は自身が持つ“個”を揺るがさなかった。彼女はそれが羨ましくて、“彼”が遠慮するのも構わずに“彼”に近付いた。その所為で“彼”の立場が更に悪化して、国から追い出される事が決まった。その事について、謝り、なんとかできるかもしれないと云った。
 いつかの日に聞いた“彼”の言葉が甦る。

――――明日(あす)があるから我らは生を選ぶ。明日が来ぬと知ったからといえど、自ら死を選ぶ必要が何処に在ろうか? 我はどうも、造られた空の下、造られたように動くのは癪なのだよ。

 想い出は色褪せる前に、忘却の空に掻き消えていく。

…………………………………………

 現実と空想の狭間に忘れ去られた何かを手にして、少女は空に吸い込まれるように世界を認識した。
 声が、朗と響いた。
「柚詠様。造られた空は、しかしとても綺麗な青色をしています。そんな空の下でも、貴女は癪に思われるでしょうか?」
 現実の名前を呼ばれた彼女は、呼んだ相手を見てうろたえた。背後から微笑む相手に、涙を見られた。相手にこのように座り込んでいる姿を見られた。それは忌むべき事で、決して行なってはならない事。
「な、ま、妹(まい)姫!? あ、わたくし、その……」
 慌てて取り繕おうと、立ち上がる。だが、着物の裾を踏みつけて、上手く立ち上がれずに相手に寄り掛かるような格好になってしまった。
「落ち着きになられて、柚詠様」
 相手は、ただ一人の近しい使い、腹違いの妹、妹姫だった。妹姫は柚詠を自力で立ち上がらせると、少しの距離を置いて、辺りを気にした。二人以外に誰も居ない事を確認して、続ける。
「あのような言動を柚詠様が行なうなどと、他の皆さまが大いに驚いていらっしゃいましたよ。……ふふ、柚詠様ったら、毒をかぶり過ぎというものですわ。綺麗な花を咲かしていらっしゃるのですから、毒が多すぎて避けられるのは、いいこととは言えませぬわよ」
「そ、それは……、妹姫には関係なくて……」
「柚詠様が」
 遮られた時に、嘘だけはつけないと、思った。
 目の前の映像と、過去の残像が、重なるようにして浮かび上がる。
「この国をお思いになられて、この世界一番の怒りの矛先にご自分がなられると、ご自身の意思でお決めになられたのならば、私は何も云えませんよ。ですが、彼(か)の一代目柚詠様が仰られた事、必ずしも確かとは……」
「分かっておりますわ。それでも、柚詠様は、わたくしに仰られたのです。……何も知らなかった次代柚詠のわたくしに、本来の柚詠の在り方を」
 沈黙が、廊下を、国を、世界を覆った。
 長い長い沈黙の後、愛しむような色を瞳に浮かべると、妹姫は言った。
「……左様で御座いますか」
 妹姫の言葉は、とても優しかった。咎めるようでも、哀しむようでもなく、ただ事実を確認しただけのように、“優し”かった。
「……柚詠様。ご覧ください」
 ふと、まるで今思い出したかのように、妹姫が格子の隙間から空を指した。
「青空が、綺麗ですよ」
 きらりと太陽に反射して、池の水が輝いている。その頭上に世界を見守る青い空を。
「…………そうですわね。……ええ、とっても」
 見上げた空は、風に揺られた雲を遠くの世界へと。何処までも遠く遠く続いていく世界、端の見えぬ世界に、柚詠は静かに目を閉じて、風の匂いを嗅いだ。
 ふと、“彼”の言葉が過(よ)ぎった。

――――知らぬ事は罪であろう? お前は恐らく、世界でただ一人の花となろうから、お前の解答(こたえ)は、世界の回答なのだよ。

――――姫、……いいえ。柚詠様、この世界を、凛と強く羽ばたいてくださいまし。

 新緑の隙間に広がる甘い甘い、花の香りを嗅いだ柚詠は、目を開けて、しかし変わることの無い空を見上げて謳った。


―――― 現(うつつ)の夢の中まどろみ謳え
       さらば愛(いと)しく花の中
       呪(じゅ)と祝(しゅ)と者(しゃ)集え
       されど春の泡(あぶく)となりて ――――


 まるで青空に吸い込まれるかのようにして、唄は霞んで消えていった。



 this is the end...?


後書き(というか反省)→》

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